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はやぶさの日

去る 6月13日は、JAXA小惑星探査機「はやぶさ (HAYABUSA)」が絶体絶命とも言える苦難の末に地球に帰還~大気圏再突入を果たした記念日だった。(「はやぶさ」本体は再突入時の高温によって砕け散り、小惑星イトカワ」のサンプルを載せた悲願の「回収カプセル」のみが、地上で待ち侘(わ) びる人々のもとに届けられた。)

現実問題として、「宇宙開拓」では ❝出遅れた感❞ のある日本だけれども、しかしながら、その「夢想力」においては、『竹取物語』を始めとして、千年以上の歴史を誇り、また、その民族性を活かした「技巧力」においては、小柴昌俊・博士らによる『カミオカンデ』は「ニュートリノ」の初観測でノーベル賞の栄誉にも浴している。

取り分け、これまで世界中を賑わせてきた「空想アニメ」の殆どの原作が日本製であることは見過ごせない。
殊(こと) に、海外のジャンルに比べた日本のアニメ (ジャパニメーション) の「独創性」は、贔屓目(ひいきめ) に見ても、段違いだと思うのである。
また、その「核心」は何なのかと思いを馳せてみるに、やはり、私達の「民族性」に起因するところは ❛大❜ なのではと、即ち、「ロボット」と言えば、(「ヒューマノイド」であるよりも) 「ドラえもん」や「ロボコン💦」、「マシン」と言えば、(「トライポッド (宇宙戦争)」であるよりも) 「ロボット兵 (ラピュタ)」や「鉄人28号💦」というように、造形物 (無機物)に対する「感情移入性」が比類ないのである。

今般、そうした ❝この国❞ で 13年目の「はやぶさの日」を迎えるにあたり、今尚、消えなずむ「はやぶさ」から送られた ❛ラストショット❜ の感慨を偲びつつ、私の耳には、併せて (或いは「園丁兵 (ラピュタ)」な音声で) ❝ピピッ、プピポ…❞ みたいな ❛ラストメッセージ❜ が残響している気がしてならない💧