ノー・モア・回転寿司
遥か昔、デパート屋上階のフードコートに姿を表した、その新進気鋭の寿司店では、板さんを取り囲むカウンター越しに ❝一握り毎の寿司皿がベルトコンベアーに乗って回遊していた─❞
その ❝メリーゴーランドに勝るとも劣らない❞ 驚嘆を親子で囃したてた思い出は、いまだに翳(かげ) ることがない。
時は移り、「このお店は、お寿司が回ってないからつまんなーい (?)」なんていう子供達の戯言を、折にふれて聞き流しつつ、今や、ファミレス化した回転寿司チェーンが全国一律のサービスを展開する御時世となってしまった。
でも、何にでも、❝適量❞ というものがある様に、「回転寿司」の店構えも、また、例外ではないのではないかと思ってしまう、今日このごろ…。
巷では、「ジャパン・カルチャー」の常連にも挙がっている様だけれども、紐解いてみれば、(人手の足りない暖簾主の考案した)アイデア商法の一つに過ぎなかったのではなかったかとも思う。(「おでん自販機」や「ガチャ玉」、「カプチーノ自販機」等々、この国には、まだまだ一杯「アイデア商品」がある。)
それに、そもそも、「御寿司」というのは ❝未加熱処理の生魚❞ を ❝「ワサビの辛味」と「醤油の味付け」で誤魔化して❞ 頬張る、❝大人の嗜好品❞ である… 筈なのであって(「馬刺し」や「レバ刺し」に引けを取らない、厳格な「調理基準」が求められるリスク食品でもあり)、およそ、❝親の箸で幼児の口へ運ばれる❞ 御膳物とは、趣きを異にする品物であると言いたい。
まあ、それでも、板さんが手を伸ばして届く距離感で、でも、❝粋に注文するのが憚(はばか) られる❞ 小心者にとっては、独り、もごもごと皿を重ねて出て来られる「御寿司屋」さんがあったことは、その時代の、とある小さな「革新」だったかもしれないけれど?
要するに、「御寿司」とは、❝暖簾をくぐって…❞ それが叶わなければ、せめて ❝出前で注文❞ されて嗜(たしな)まれるべき「御馳走」であって欲しいと思うのである。
でも、そんなことを言ったら、❝単価が上がって庶民の手が届かなくなるではないか!❞ みたいな苦言が出てきそうだけれど、そうなったらそうなったで、「御寿司」は再び ❝記念日の贅沢品❞ に返り咲き、板さんの「人件費」も上がり、❝「御寿司屋」発の「賃金改革」❞ につながる可能性 (?) だって、ないとも限らないのだから…。
はびこる客テロ、回れなくなった回転ずし くら寿司は切り札を導入https://t.co/Zqd475mmVr
— 朝日新聞 映像報道部 (@asahi_photo) March 2, 2023
くら寿司がAIを使った不正防止システムを公開しました。(田) pic.twitter.com/mhcwgdEJko